大久保利通

大久保利通って、明治維新後の政府を類まれなるリーダーシップで乗り切った、
偉大な指導者である。誰もお金を持っておらず、「国」という概念が希薄だった時代に、帝国主義に基づいた欧米の侵略を受けずにこられたその指導法は、TPPなどに代表される米国からの圧力にどう立ち向かえば良いか、現在の政治を考えるのに役立つはずだ。




















(Wikipediaからのリンク)


年表

天保元年8月10日 小姓組大窪次右衛門利世の長男として生まれる。

嘉永2年 お由良
安政6年 精忠派のリーダーとして、久光との面会を試みる

安政7年 井伊直弼暗殺(桜田門外の変)
文久2年4月23日 寺田屋事件
郷中(青年結社)


明治11年5月14日 紀尾井坂において利通斬殺(紀尾井坂の変)。
全身17箇所を切られ、ほぼ即死。
朝8時に裏霞ヶ関の自宅を出発。
殺害当時、参議兼内務卿



新聞の登場・普及と共に「言論」という新たな武器に移っていく(自由民権運動)
「最初の10年は創業の時代」

戦火:
成韓論争(明治6年)
戊辰戦争 → 士族の反乱 → 西南戦争
外交:
ロシアと樺太・千島交換条約(明治8年)
 台湾問題(@北京、明治7年)
朝鮮と日朝修好条規(明治9年)


内政: 廃藩置県


疑問:
なぜ維新を成し遂げた2藩は九州なのか
いつ大久保は尊皇攘夷から、討幕を目指し始めたの?
【推】生麦事件のあと、イギリス海軍から砲撃を受けたとき












1830年天保元年
1849年=嘉永2年
1859年=安政6年
1862年=文久2年
1868年=明治元年
1872年=明治5年
1877年=明治10年
1882年=明治15年

1887年=明治20年
1892年=明治25年
1897年=明治30年


0 件のコメント: