理系の道を歩くと、つい論理的だったり、定量的だったりという表現法を取るようになる。アンデルセンのように、柔らかい表現の小説を読むと、違いに気づかされる。しかしこの本に限らず詩的なものに対する感性が無くて、いまいち本当の素晴らしさを理解できない。気づく人、気づかない人。同じものを見ても、受け取り方は人それぞれ。素晴らしさに気づく人になりたい。
物心ついたときから傍にいてくれた素晴らしい読書家の影響を受け、本が大好きになり、沢山の良本に出会い、そして出会い続けています。子供を授かった後は、その子達の成長を見守りながら自分が出会った本を伝えています。この心に残る本たちをここで紹介していきます。
絵のない絵本 - アンデルセン
理系の道を歩くと、つい論理的だったり、定量的だったりという表現法を取るようになる。アンデルセンのように、柔らかい表現の小説を読むと、違いに気づかされる。しかしこの本に限らず詩的なものに対する感性が無くて、いまいち本当の素晴らしさを理解できない。気づく人、気づかない人。同じものを見ても、受け取り方は人それぞれ。素晴らしさに気づく人になりたい。
幸福の王子 - オスカー・ワイルド
人間失格 - 太宰治
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<あらすじ>
少年期から27歳までの葉蔵を描く。葉蔵は創作の人物だが、太宰本人の写像である。
・少年期
周囲を笑わせ、皆から好かれる人間を演じていたが、内面に弱さや他人と交われないものを持っていて臆病だ。それを竹一に見抜かれて狼狽してしまう。
・青年期
画家になりたいが、親に反抗することもできず指示通り普通科へ。学生として東京に出、ヒラメという監督者の元で生活を始めるが、堀木と出会いによって破滅への道を突き進む。
・壮年期
ツネ子、シヅ子、放蕩する中で出会った女に貢がせ、浪費し、徹底的に堕落していく。自分で稼ぎたい、そして酒を買って飲みたい。そんな想いを吐露しながらも結局は更生できないのだ。疑うことを知らないヨシ子と結婚するが、そのヨシ子も破壊してしまう(これははじめの妻初代が他の男と過ちをおかした体験がモチーフになっている)
そして最後には、もう人間としての体をなさないところまで、行き着くところまで辿り着くのである。
<本を読んで>
ヴィヨンの妻 - 太宰治
<あらすじ>
太宰の短編集。特に代表作とされる「ヴィヨンの妻」がそのタイトルとなっている。太宰は虚構の名人で、本人も入水自殺した破天荒な生き方をした小説家だ。この作品たちでは戦後の現実への絶望感、倫理観、家庭、家族への夢など「自分」の内面を、しかも死を意識しながら主題として表現している。ヴィヨンの妻では彼と、おさない子を抱えた妻と、その夫婦の間の繊細な心の動きが描かれている。
ここでは「父」を見てみる。この作品の中で彼は、父としての自分を振り返っている。小説なんぞ書いてふんぞり返って、遊廓で放蕩して、子供のための貯金まで使い果たす始末。それを自分で「義」の行為だと 言って癖になってしまったように妻に負担をかけても家からお金を奪って遊びにいくのを止められない。「親が無くても子は育つ、という。私の場合、親が有る から子は育たぬのだ」と。
<本を読んで>
作品群の中で彼は自分の内面の葛藤を表現しているが、結局自分は最後は不倫して自殺して、それはもう勝手な事をやって逃げたのだ。もちろん彼の例は極端すぎるが、大なり小なり男はその身勝手な部分を持っていて、自分の目的を果たすために進んでしまうのだろう。普通、特に現代社会でそのようなことが許されるとは思わないし、私は自殺は最強最悪の「逃避」としか思わないが、しかし小説は、誰しもが持つ葛藤をVividに、刃物を突きつけるような感性で描いていると感じた。別のコラムでスティーブ・ジョブズや種田陽平さんが異常なまでにDetailにこだわる事を紹介したが、太宰も様々な情景を小説の中に織り込む天才であったようだ。
若きサムライのために - 三島由紀夫
はつ恋 - ツルゲーネフ
三四郎 - 夏目漱石
人生論 - トルストイ
雪国 - 川端康成
小僧の神様・城が崎にて - 志賀直哉
ジキルとハイド - スティーブンソン
白痴 - ドストエフスキー
罪と罰 - ドストエフスキー
山椒大夫・高瀬舟 - 森 鴎外
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