私家版・ユダヤ文化論 - 内田 樹

迫害を受けるユダヤ人について、「ユダヤ人」とは何か、なぜ迫害を受けつづけるのか、等の題について論じている。「朝⇔夜」「戦争⇔平和」と同じように「ユダヤ人⇔非ユダヤ人」という分類があり、対比があるけれども結局の所正確な定義はできなくなり、論じている人がどこかで分類をやめた所までが最終判断になるという結論。
小林秀雄賞の受賞を機に読んでみました。ユダヤの問題は事ある毎にいろいろな文章の中で目にするが、結論がないのが結論になっていてとても面白い。「時間の捉え方が非ユダヤ人とは逆になっている」というフレーズは他者にとっての普通を感じ、目から鱗であった。なんだか相対論や素粒子論のように、時間の流れを逆転させて考える事など、物理と哲学のつながりを感じた。



<心に残ったフレーズ>
p38 おまえはユダヤ人だ。なぜなら「おまえはユダヤ人だ」と私が宣言したからである
p40 多くはイデオロギー的に構築されたもの
p71 同じロジックを反転 ~ だからである
p104 善意の人間が大量虐殺に同意することになるのはどのような理路をたどってか
p123 中世的なギルドのメンタリティが残る業界はどこもユダヤ人を組織的に排除したからである
p150 ファシズムという政治思想は「人間は永遠に変化しない生得的なカテゴリーに釘付けにされている」という前提に立ってはじめて成り立っている
p151 自分から最も遠いカテゴリーの人がそばにいるときにこそ、自分が何者であるか確信が持てる
p177 ユダヤ人たちは多くの領域で極めて頻繁にイノベーションを担ってきた。
p179 ユダヤ人にとっての「ふつう」を非ユダヤ人が「イノベーティブ」とみなしているということである。
p189 そのつどすでに遅れて世界に登場するもの-それがユダヤ人の本質規定である
p212 反ユダヤ主義者はユダヤ人をあまりに激しく欲望していたから
p218 時間の捉え方が非ユダヤ人とは逆になっている。
p232 ユダヤ教、ユダヤ人について語ることは、端的にその人が「他者」とどのようにかかわるのかを語ることである。

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