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<あらすじ>
少年期から27歳までの葉蔵を描く。葉蔵は創作の人物だが、太宰本人の写像である。
・少年期
周囲を笑わせ、皆から好かれる人間を演じていたが、内面に弱さや他人と交われないものを持っていて臆病だ。それを竹一に見抜かれて狼狽してしまう。
・青年期
画家になりたいが、親に反抗することもできず指示通り普通科へ。学生として東京に出、ヒラメという監督者の元で生活を始めるが、堀木と出会いによって破滅への道を突き進む。
・壮年期
ツネ子、シヅ子、放蕩する中で出会った女に貢がせ、浪費し、徹底的に堕落していく。自分で稼ぎたい、そして酒を買って飲みたい。そんな想いを吐露しながらも結局は更生できないのだ。疑うことを知らないヨシ子と結婚するが、そのヨシ子も破壊してしまう(これははじめの妻初代が他の男と過ちをおかした体験がモチーフになっている)
そして最後には、もう人間としての体をなさないところまで、行き着くところまで辿り着くのである。
<本を読んで>
この作品は昭和23年、雑誌「展望」の6、7、8月号に連載発表された。太宰治の完結した最後の小説。書き上げたあとすぐ6月13日に、玉川上水に山崎富栄と投身自殺した。人間の弱さ、汚さ、そういうものが凝集している本であった。共感はできない、というか、共感してはいけないのではないかとも思う。太宰氏は表現者として、弱さを一生持ちつづけると覚悟を決め、そしてそれでも30有余年を生きる強さがあったのだろう。結局最後は逃げてしまったが。人間は誰しも弱く、自分を欺きながら生きている部分があるであろう。彼の表現したその弱さは、自分の身に当てはまる部分が確かに多い。しかしそれを見せないようにするのもまた、人間なのではないか。だから弱さを持っていても、臆することなく前進すれば良いのではないか。本当にダメなときは、ダメだと言って休めばいいのではないか。そうしたいし、そうやって自分を肯定して生きたい。
書きながら思っているが、今の自分では到底まともな感想を書くことができない、深いものが込められている作品だ。数年か、数10年後に、時を経てまた振り返ってみたい作品の1つだ。
<心に残った言葉>
- 神に問う、信頼は罪なりや
- 弱さを一生持ちつづける強さがあった
- 自分の不幸は、すべて自分の罪悪からなので、誰にも抗議の仕様が無い
- 不安でいけないんです。こわくて、とてもだめなんです。
- 死にたい、死ななければならぬ、生きているのが罪の種なのだ。地獄。
- (精神病院に連れていかれ)人間、失格。もはや、自分は、完全に、人間で無くなりました。
- ただ一切は過ぎてゆきます
- 何でもないものを、主観によって美しく創造し、或いは醜いものに嘔吐をもようしながらも、それに対する興味を隠さず
- これこそ胸底にひた隠しに隠している自分の正体なのだ
- 口答え出来ない質の自分
- 尊敬されるという概念もまた、甚だ自分を怯えさせました・・・人は恐怖の中に生きている
- 弱さを一生持ちつづける強さがあった。自分の事が書かれているような切実な文学的感動
- 自分は、皆に愛想がいいかわりに、「友情」というものを、いちども実感したことがなく・・・懸命にお道化を演じて
- 「世間」 世渡りの才能
- 純粋な表現者としての小説家を目指した。彼は徹底した自己否定、自己破壊によってのみはじめて根源から秩序、権力批判ができるようになると考え、それを生涯かけて実行した。
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